弘法大師空海
弘法大師空海(774~835年)は平安時代初期に実在したお坊さんです。
歴史上、25人いる大師号のなかで、お大師さまといえば弘法大師空海といわれるほどの人物です。
弘法大師空海の功績、生涯、言葉 名言、伝説について簡略に紹介します。
弘法大師の数々の功績
・唐(中国)から密教を日本に伝え、真言宗(仏教の宗派のひとつ)を開いた
・高野山を開山した
・京都の東寺を密教僧のみが修法を行う場とした
・四国霊場、四国八十八か所のお遍路を開いた
・日本初の庶民向けの教育機関「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」を開いた
・治水工事、満濃池(まんのういけ)を修築工事した
・日本各地に温泉を開湯した
・書や詩に才能があり、「三筆」のひとりとして数えられている
・「いろは歌」を作ったとされる
御誕生 少年時代から青年時代
774年、1歳(空海の数え年)。讃岐国多度郡(さぬきのくにたどのごおり)善通寺市で生まれる。幼名真魚(まお)。「宝亀5年(774年)6月15日、父の佐伯直田公(さえき の たぎみ)、母の玉寄御前(たまよりごぜん)の三男。
791年、18歳になると大学(長岡京・現在の京都府向日市)の明経科に入学しますが、入学した大学は官僚を養成する学校で、「困っている人を助けるには、出世のための学びではなく、仏教が必要」そう考えたので大学を中退し、僧の道に進みます。
修行、長安
797年、24歳。文書「聾瞽指帰(ろうこしいき)」を著す。のちに文書「三教指帰(さんごうしいき)」(儒教・道教・仏教の比較を論ず内容)といわれるものです。
修行7年間、阿波国大滝嶽(あわのくにたいりゅうがだけ・現在の徳島県阿南市)、土佐国室戸崎(とさのくにむろとのさき)などで修行や、和歌山で山岳修行を行い、奈良などの寺院で仏教を学びました。その中、久米寺(くめでら)の東塔に納められていた密教の経典、『大日経』と出会い、仏教密教の教えを深く理解するため、唐に渡ることを決意。
804年、31歳。東大寺(奈良市)戒壇院で授戒。私費の留学僧として遣唐使船に乗り込みました。肥前(長崎県)松浦郡田浦(たのうら)から唐(中国)に向かう。12月、長安(中国の地名)に到着する。
805年、32歳。長安の青龍寺(しょうりゅうじ)で恵果和尚(けいかおしょう)に師事、伝法阿闍梨位(でんぽうあじゃりい)を受ける。真言密教の第八祖となり「遍照金剛(へんじょうこんごう)」の名を授けられる。
高野山、金剛峯寺など
806年、33歳。帰国(空海は、31歳の頃に遣唐使として唐に渡り、当時の最先端である密教を勉強するのですが、本来20年かけて勉強するはずが2年でマスターして日本に帰ってきます)。太宰府(観世音寺)や和泉国の松尾山寺(施福寺・大阪府和泉市)に滞在。12月、高階遠成(たかしなのとおなり)に託して、請来の経典や仏画、密教法具などの目録「御請来目録(ごしょうらいもくろく)」を朝廷に提出する。
809年、36歳。和泉国から京に移り高雄山寺(神護寺・京都市右京区)に滞在。
810年、37歳。10月、高雄山寺(神護寺)において鎮護国家のために修法する(嵯峨天皇の書を奉り、「真言宗」を開く許しを得、布教を開始)。
812年、39歳。11月、12月、高雄山寺(神護寺)で最澄らに学修灌頂。
813年、40歳。11月、最澄の「理趣釈経(りしゅしゃっきょう)」借覧の求めに対して、断りの答書を送る。
815年、42歳。真言密教を広めるため、弟子康守(こうしゅ)、安行(あんぎょう)らを東国の徳一、広智(こうち)らのもとに遣わし、密教教典の書写を依頼する。
816年、43歳。修禅の道場建立のために高野山を朝廷に請う。7月、高野山の地を賜う(唐より帰国して10年が経ちました)
818年、45歳。勅許(ちょっきょ)後、始めて高野山(和歌山県伊都郡高野町)に登る。
819年、46歳。高野山に金剛峯寺金堂(本堂)を建立。「即身成仏義」(密教の究極の教え:人間が現世で受けた肉体のままで仏となるという教え)など著し始める。
820年、47歳。10月、嵯峨天皇より伝灯大法師位(でんとうだいほっしい)を賜い、内供奉十禅師(ないぐぶじゅうぜんし)に任命される。
金剛峯寺は、高野山真言宗の総本山。高野山は「一山境内地」と称し、高野山全体がお寺という考え方で、本堂は、大伽藍「金堂」。 なお、高野山内には117の寺があり、そのうち51ヶ寺は宿坊(宿泊施設)です。
文化活動、東寺
821年、48歳。讃岐国の満濃池(まんのういけ、香川県仲多度郡まんのう町)を修築。この満濃池は田畑を潤す大切な池であったが、規模の大きさや人足が集まらないことなどにより、なかなか完成の見通しが立ちませんでした。空海は人々を救うために修復工事を指導しました。
822年、49歳。勅により東大寺に灌頂道場を建立し、国家鎮護の為、息災増益法を勤修。
823年、50歳。弘法大師空海は、東寺(京都市南区)を授けられ、教王護国寺として密教の根本道場(総本山)と位置づけました。
真言宗の歴史は、823年に東寺が嵯峨天皇から空海に下賜(かし)され、真言密教の根本道場のお寺になったことが真言宗の始まりとされています。
825年、52歳。東寺講堂の建立に着手する(839年に完成)。
828年、55歳。東寺から東に歩いて数分の場所に、だれでも勉強できるよう京都に「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」という私設の学校を創立する。
830年、57歳。「秘密曼荼羅十住心論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)」(真言密教の体系)十巻、「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」(「十住心論」を簡略化したもの)三巻を著す。
835年、62歳。高野山においてご入定(にゅうじょう:3月21日)
921年。醍醐天皇より弘法大師の諡号(しごう)を賜う。
弘法大師空海の言葉 名言
弘法大師空海が記した言葉 名言を紹介します。
増なれる氷、何ぞ必ずしも氷ならん。夏に入るときはすなわち溶け注ぐ
『秘蔵宝鑰』 厚い氷だったとしても、いつまでも凍っていることはない。夏になれば溶けて流れ出す
迷悟我に在れば、発心すれば則ち到る
『般若心経秘鍵』 悟りを求めようとする心をおこせば、ただちに悟りに到達できる
良工の材を用うるは、その木を屈せずして厦を構う
「性霊集」 優れた大工は木の個性を活かして建物を作る
抜苦の術は正行にあらざれば得ず
『平城天皇灌頂文』 苦難を取り除くには、正しい行為をすること
文章は興に乗じて便ち作れ
『文鏡秘府論』 文章は興に乗っている時に一気に書いてしまえ
影は形に随って直く、響きは声に遂って応ず
『秘密曼荼羅十住心論』 影はその形にそって現れて、声は発したそのまま響きとして現れる
大智は愚なるが若し
『真言付法伝』 真の賢者は賢いところを見せようとはしないため、一見愚か者のように見える
我を生じわ我を有するは父母の恩、天よりも高く、地よりも厚し
『教王経開題』 父母の恩は天や地よりも高く、何物にも代えがたいほど大きい
弘法大師空海の著作について
弘法大師空海には多くの著作を残しております。
「三教指帰(さんごうしいき)」、「秘密曼荼羅十住心論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)」、「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」、「即身成仏義(そくしんじょうぶつぎ)」、「般若心経秘鍵(はんにゃしんぎょうひけん)」、「秘密漫荼羅教付法伝(ひみつまんだらきょうふほうでん)」など、他にも多くの著作があります。
・「三教指帰(さんごうしいき)」
空海が儒教、道教、仏教の三教を比較して仏教を選んだ理由を説いたものです。
・「秘密曼荼羅十住心論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)」
真言宗の理論をまとめたもので空海の代表作のひとつ。人間の心が悟りを目指して発達していく10段階を示したものです。
・「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」
『秘密曼陀羅十住心論』を要約したものが『秘蔵宝鑰』です。
・「吽字義(うんじぎ)」
真言密教の立場から梵字の「吽」の字相と字義から仏教の教えの本質を説いた著作です。
・「声字実相義(しょうじじっそうぎ)」
密教の世界観を理論的に説明した作品で、言葉が重要な役割を持つことを示した作品です。
・「即身成仏義(そくしんじょうぶつぎ)」
密教の即身成仏の思想を説いています。生まれたままのこの身で修行して即身成仏が可能となることを説いた密教の教えの書です。
・「般若心経秘鍵(はんにゃしんぎょうひけん)」
「般若心経秘鍵」は、空海によって書かれた『般若心経』の注釈書です。真言密教の立場で『般若心経』を解説した書です。
・「秘密漫荼羅教付法伝(ひみつまんだらきょうふほうでん)」
真言宗の開祖である弘法大師空海が伝えた経典や仏画、密教の教えなどをまとめたものです。
・「金剛般若波羅蜜経開題(こんごうはんにゃはらみつきょうかいだい)」
仏教経典の題目を解釈し、その大要を述べたものです。金剛般若波羅蜜経は、大般若経典の中の代表的な教典です。
・「法華経開題(ほけきょうかいだいにみる)」
正式には「妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)」と呼ばれ、法華経について解説した書です。
・「念持真言理観啓白文(ねんじしんごんりかんけいびゃくもん)」
真言密教の教理を述べた書物です。
・「平城天皇灌頂文(へいぜいてんのうかんじょうもん)」
平城天皇に灌頂を授けたときの諷誦文(ふじゅもん)。法要の意義を著した文。平安時代に成立した仏教の経典です。
・「理趣経(りしゅきょう)」
密教の代表的な経典。
弘法大師空海全集という本に弘法大師の著作がまとめられています。
温泉に関する伝説
温泉にまつわる弘法大師伝説には、錫杖(しゃくじょう)で地面を突いて、湯を湧き出させたというものが多いです。
弘法大師の温泉に関する伝承は、日本各地に多く存在します。
・あつみ温泉 山形県鶴岡市 弘法大師が夢を見て発見した。
・出湯温泉 新潟県阿賀野市 弘法大師が独鈷(とっこ)で地面を突いて湧出。
・瀬戸口温泉 新潟県十日町市 弘法大師が杖で地面を突き湯を湧き出させた。
・川場温泉 群馬県利根郡川場村 弘法大師が杖を突いたら湯が沸き出したと伝えられる。
・法師温泉 群馬県みなかみ町 弘法大師が川に流れ込んでいる湯を発見。
・修善寺温泉 静岡県伊豆市 弘法大師が独鈷(とっこ)で川の中の岩を打つと湯が湧き出した。
・湯村温泉 山梨県甲府市 弘法大師の杖により湧いた温泉。
・鹿塩温泉 長野県下伊那郡大鹿村 弘法大師発見と伝説が残る塩辛い温泉。
・赤引温泉 愛知県新城市 弘法大師が行脚の途中に発見。
・ねぶた温泉 石川県輪島市 湯で傷を癒しているイノシシを見た弘法大師が発見。
・塩野温泉 滋賀県甲賀市 弘法大師のすすめで塩水を沸かしたのが始まり。
・龍神温泉 和歌山県田辺市 弘法大師が夢のお告げにより開湯。
・関金温泉 鳥取県倉吉市 弘法大師が川に湯煙が立っているのを発見。
・杖立温泉 熊本県阿蘇郡小国町 弘法大師が行脚中に立ち寄り短歌を詠まれた。
・波佐見温泉 長崎県波佐見町 弘法大師が突き立てた錫杖の跡から湧き出した。
他にも、弘法大師空海が開湯したという伝説の温泉は各地にあります。
空海とうどん
うどんの発祥については諸説ありますが、そのうちの1つに「弘法大師空海が唐からうどんの製法を日本に持ち帰った」という伝承があり、香川では定説となっています。
空海が唐から持ち帰ったのは仏教や先端技術のみでなく、うどんは空海が唐から日本へ持ち帰り、それを讃岐の地に広めたのが起源と言われています。
三筆(さんぴつ)とは
日本の書道史上のうちで最も文字を上手に書くことに優れた三名の方です。
空海、嵯峨天皇(さがてんのう)、橘逸勢(たちばなのはやなり)の三名です。
創建開山、鏡島弘法
813年、嵯峨天皇の勅命を受けた弘法大師空海が乙津島に着船し、乙津寺を開山と伝承。
境内の拝殿奥にある大師堂には、弘法大師坐像をお祀りしております。
2021年、鏡島弘法に黄金の弘法大師像が奉安されました。弘法大師空海は、多くの人に信仰されています。
弘法筆を選ばず
ことわざ
名称 | 乙津寺 (通称:鏡島弘法) |
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所在地 | 〒501-0124 岐阜県岐阜市鏡島中2丁目8番1号 西岐阜駅から車で約5分 岐阜バス「鏡島弘法前」バス停から徒歩5分 |
駐車場 | 無料駐車場80台あり |
寺務所受付時間 | 9:00~12:00 (毎月21日、1月1〜3日は9:00〜17:00) |
電話番号 | 058-252-2062 |