毘沙門天 多聞天とは?ご利益
金運、勝負運、開運、
毘沙門天(びしゃもんてん)には様々なご利益があるとされております。
金運、勝負運、開運などのご利益
戦いの神、財宝の神、必勝祈願、武運長久。
金運、勝負運、開運、合格祈願、必勝、運気上昇、商売繁盛、健康長寿、厄除け、鬼門封じ、家族の守り神、融通招福の神など。
代表的なご利益
武運長久・必勝祈願(戦勝祈願)
最強の武神であることから、戦国時代の武将たちから圧倒的な信仰を集めました。現代においては、「受験合格」「スポーツの試合での勝利」「ビジネスの競合に勝つ」「己の弱い心に打ち勝つ」といった必勝祈願のご利益として受け継がれています。
商売繁盛・財運向上
もともとインドの財宝神クベーラを起源に持つため、金運や財運を呼び込む力が極めて強いとされています。「商売繁盛」の神として広く信仰されています。
家内安全・無病息災
邪鬼を退散させる力で、家の中に忍び寄る病魔や災難を払い除きます。家族が健康で、平穏無事に暮らせるための守護神としての役割を果たします。
知恵明瞭
「多くを聞く神(多聞天)」であるため、正しい知識を蓄え、物事の本質を見抜く知恵を授けてくれるとされています。学業成就や、ビジネスにも御利益があります。
簡単に説明
・戦いの神でありながら福の神でもある
・毘沙門天は多聞天と同じ神様
◎七福神の一尊です。
毘沙門天とは
毘沙門天とは、もともとはヴァイシュラヴァナというインド神話の神さまであり、インドから中央アジアを経て中国に伝わる過程で武神・戦いの神としての信仰が生まれ、仏教における仏神で四天王の一尊として守護神とされるようになり、財宝と富を授ける神として信仰されるようになりました。
仏教を守護する「四天王」の最強の神
毘沙門天のルーツは、古代インド神話に登場する財宝の神「クベーラ(ヴァイシュラヴァナ)」です。これが仏教に取り入れられ、仏法を守護する護法善神となりました。 仏教において、世界の中央にそびえる聖なる山「須弥山(しゅみせん)」の、中腹を四方から守る4人の武神を「四天王(してんのう)」と呼びます。毘沙門天はその中で北方を守護する最高位の神であり、四天王の一尊として安置される場合は「多聞天(たもんてん)」と呼ばれます。
「毘沙門天」と「多聞天」の名前
「毘沙門天」と単独尊として信仰・安置される場合に限り、「毘沙門天」といいます。財宝や戦勝の神として、単独で強い信仰を集めます。
「多聞天」は四天王の一尊として、東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天とともに、仏教の聖域を北から守ります。
名前の由来は「すべてを多く聞き入れる神」
「毘沙門」という名は、サンスクリット語の「ヴァイシュラヴァナ」を音訳したものです。その意味は「物事を多く聞き漏らさない者」「説法を多く聞く者」であり、そこから「多聞(たもん)」と意訳されました。
人々の悩みをすべて聞き入れ、願いを叶えてくれるという慈悲深い性質が、この名前に込められています。
毘沙門天のパワー
毘沙門天(びしゃもんてん)は、単なる怖い武神ではなく、私たちの「ビジネスを成功させたい方」「受験や大事な勝負事を控えている方」「お金の巡りを良くして、家内安全を願う方」という願いを聞き入れ(多聞)てくれる大変頼もしい福の神です。
毘沙門天のお経
毘沙門天には、信仰すると得られる10種の福があり、これは「毘沙門天王功徳経(びしゃもんてんのう くどくきょう)」というお経に書かれているものです。
<10種の福>
・尽きることのない福
・皆から愛される福
・智慧により物事を正しく判断する福
・長生きする福
・周囲の信頼に恵まれる福
・勝負事に勝つ福
・田畑を豊作に導く福
・家業が成功する福
・良い教えを学ぶ福
・悟りを得られる福
七福神における毘沙門天
恵比寿や大黒天など、穏やかで笑顔の神様が多い「七福神」の中で、唯一強面(こわもて)の武将姿をしているのが毘沙門天です。
室町時代以降、日本で民間信仰として定着した「七福神信仰」において、人々は平和で豊かな暮らしを望む一方で、外敵や災難から身を守る「強さ」も必要としました。毘沙門天は、「悪を寄せ付けず、手にした宝塔から福を出す」という、攻守ともに優れた福の神として七福神に組み込まれました。
美と幸福の女神「吉祥天」は妻
仏教の経典において、毘沙門天には吉祥天(きっしょうてん)という妻がいます。吉祥天は美、豊穣、幸福を司る美しい女神です。また、息子の「善膩師童子(ぜんにしどうじ)」をはじめとする子供たちにも恵まれており、家族で仏法を守っています。
毘沙門天・吉祥天・善膩師童子の三尊をあわせて祀り、「家族円満の象徴」として信仰することもあります。
毘沙門天と上杉謙信
毘沙門天を語る上で欠かせないのが、戦国時代の名将「上杉謙信」です。。
上杉謙信は、自らを「毘沙門天の生まれ変わり(化身)」であると深く信じていました。居城である春日山城(新潟県)の敷地内に「毘沙門堂」を建て、出陣の前にはそこに引きこもって戦術を練り、精神を研ぎ澄ませたと伝えられています。
謙信が戦場で掲げた有名な「毘(び)」の一文字の軍旗は、自らの軍勢が毘沙門天の加護を受けた「正義の軍」であることを示し、自軍の士気を高めました。
お姿の特徴的
仏像や絵画に描かれる毘沙門天は、柔和な七福神のイメージとは異なり、一般的に「武将」のように甲冑に身を固め、顔はにらめつけるような迫力のある表情をしています。以下の3つの特徴を知ることで、他の神仏と簡単に見分けることができます。
左手に持つ「宝塔(ほうとう)」
毘沙門天の最も象徴的な持ち物が、左手(あるいは右手)に掲げた小さな塔「宝塔(または仏塔)」です。この中には、仏教の教えの結晶である「釈迦の遺骨(仏舎利)」や、無限の財宝が詰まっているとされています。毘沙門天はこの宝塔から、人々に福徳や知恵を分け与えます。
右手に持つ「三叉戟(さんさげき)」
右手には、先端が3つに分かれた槍のような武器「三叉戟(さんさげき)」や「宝棒(ほうぼう)」を持っています。これは、仏教の敵や邪悪な悪霊を退散させ、信仰者を災いから守るための強力な武器です。
足元で踏みつけられている「邪鬼(じゃき)」
毘沙門天の足元を見ると、鬼のような形相をした生き物を踏みつけています。これは「邪鬼」と呼ばれ、人間の心の中にある煩悩や、社会の悪、災難を象徴しています。毘沙門天がこれらを力強く踏みつぶすことで、世の中の平和と人々の心の平穏が守られています。
当山の毘沙門天
甲冑に身を固め、左手に戟(げき)を持ち、右手は腰にある「鞍馬寺様式(くらまでらようしき)」のお姿をしています。台座に立ち、顔の忿怒(ふんど)の表現も控え目です。
藤原時代中期の制作。高さ161センチメートル。
大正3年(1914)8月25日に国宝、昭和25年(1950)8月29日に国重要文化財に指定されます。
毘沙門天の縁日は「寅の日(とらのひ)」
十二支の「寅(とら)」は、毘沙門天と非常に深い縁があります。毘沙門天がこの世に現れたのが「寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻」であったという伝承に由来します。
そのため、12日ごとに巡ってくる「寅の日」は毘沙門天の縁日とされています。
ご真言
毘沙門天の真言は以下の通りです。
「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ」
場所
お祀りされてる場所は宝仏殿です。
| 名称 | 乙津寺 (通称:鏡島弘法) |
|---|---|
| 所在地 | 〒501-0124 岐阜県岐阜市鏡島中2丁目8番1号 JR「岐阜」駅より車で15分 JR「西岐阜」駅より車で5分、徒歩で15分 岐阜バス「鏡島弘法前」バス停から徒歩5分 |
| 駐車場 | 無料駐車場80台あり |
| 寺務所受付時間 | 9:00~12:00 (毎月21日、1月1〜3日は9:00〜17:00) |
| 電話番号 | 058-252-2062 |

