中山道コース

中山道コース

鏡島弘法の南門を出て道なり左に進むと当寺の石柱が中山道沿いにあります。
鏡島弘法周辺に広がる史跡群や、「祭いこまい中山道河渡宿」10月末(最終日曜日)に開催、
岐阜市の中心的なJR岐阜駅や加納宿まで、中山道沿いの歴史に思いを馳せるコースです。

中山道

中山道の前身は東山道(とうさんどう)と呼び、西国(現:京都の三条大橋)と東国(現:東京の日本橋)を結ぶ街道でした。

東山道というのは、古くより「近江・美濃・飛騨・信濃・武蔵・下野・上野・陸奥」の8国の総称でしたが、「大化の改新(645年)」頃に、道の名前となり、文武天皇の時代 (697-707)に道の名称として定着したようです。

東山道は、太平洋側で次第に整備され始めた東海道に対し、裏道的な存在でした。

戦国時代に入り、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いによって天下をとった徳川家康が、全国の道路整備を着手。翌年、東海道53次(53の宿駅)の駅制が定められ、それを契機に、東山道改め「中山道」は幕府直轄の街道として整備が進められ、さらに万治2年(1659年)には、江戸を中心とする五街道(東海道・中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中)が整備されました。

東海道と中山道は江戸と京を結ぶ重要幹線で、東海道は川が多く天候によっては支障がおきることが多いが、中山道は山や谷が多いが予定通りの通行ができるということで、女性を含め多くの旅人の従来に好まれたといいます。

中山道の名称の由来は、日本国土の中間の山道ということで中仙道とも記されましたが、1716年徳川幕府は中仙道を中山道と名称を統一しました。

中山道は五街道の中で1番長く全長532キロで、69の宿場があります。

京から江戸へ、公家の姫君(ひめぎみ)が通ることも多い道だったので、別名“姫街道”とも呼ばれています。

中山道 鏡島

鏡島地区は、中山道や長良川の舟運の港「鏡島湊」が交わる交通の要所でした。

「鏡島湊」は長良川を利用した舟運の湊として、豊臣秀吉の時代から栄えていました。

天正(てんしょう)20年(1592)、岐阜城主織田秀信(ひでのぶ:織田信長の孫)は鏡島の「馬渕与左衛門」に新しい町をつくるよう命じ鏡島港はできました。主に川下からの荷揚げ港となり岐阜城の下町へと運ばれたのであります。鏡島を通る東西の街道が中山道として公街道になると、交通量が大幅に増し、渡船の利用者も増加、更に町並みは長く伸び発展しました。

後に、城下近くで荷揚げされるようになり、「鏡島湊」は明治時代後半になるまで継続されていた歴史があります。

「鏡島湊」の看板が鏡島西の堤防下にあります。

鏡島港の差配人「馬渕与左衛門」墓所

鏡島港の差配人「馬渕与左衛門」墓所が鏡島弘法内にあります。

鏡島弘法周辺に、鏡島城跡や、鏡島城城主石河家先祖代々之墓の岐阜県最古五輪塔の史跡もあります。 詳しくは縁起の詳細サイト

江戸時代から織物が盛んで、岐阜は「縮緬」の産地でありました。特に、昭和のなかばまでは鏡島・市橋地区を中心に生産され、丹後(京都)・長浜(滋賀)とともに三大縮緬産地といわれていました。「朝日縮緬」は鏡島江崎の稲葉鷹次郎(いなばたかじろう)の考案で、折り方などに工夫し、以降、岐阜のほとんどの縮緬はこの方法で織られ織物産業が盛んでありました。
昭和20年(1945)ごろの中山道は織機(しょっき)のガチャガチャ、ガチャガチャ、と織物の音がしました。
「朝日縮緬」記念碑が鏡島弘法内にあります。

所々、中山道の面影を残すような家並みも見られます。
中山道にある古民家カフェ「湊珈琲」店は美味しい甘味と本格コーヒーのお店です。

「祭いこまい中山道河渡宿」

岐阜市内には、江戸時代の交通の大動脈であった五街道の一つ中山道が通っており、美濃の中で最大の加納宿と長良川右岸(西岸)の河渡宿の二つの宿場町がありました。現在では、宿場町にちなんだお祭りイベント「祭いこまい中山道河渡宿」が秋の10月末(最終日曜日)に行われています。

JR岐阜駅

JR岐阜駅の南側の地域は、古くは中山道の加納宿として栄えた宿場であります。
明治20年(1887)JR岐阜駅は加納停車場として開業。
明治21年(1888)岐阜駅に改称。
以来、移転や建替えが行われ、昭和62年(1987)国鉄分割民営化により、JR東海の駅になり、平成9年(1997)現在のJR岐阜駅の高架駅が完成で6代目駅舎、自動改札機の使用が開始になります。
平成21年(2009)岐阜駅北口駅前広場が完成し、黄金の織田信長像(高さは台座が約8m、像が約3mで金箔3層張り)は、岐阜市制120周年を記念して市民の寄付により建立されました。

鏡島線

鏡島線がありました。

大正13年(1924)に、美濃電気軌道(鉄道会社)によって千手堂駅から鏡島駅までの鏡島線が開業しました。開業の当時「弘法西口駅」という名称の駅があって、昭和28年(1953)「弘法口駅」と改称、その駅の位置は岐阜市立精華中学校北側の西へ約100mのところにありました。昭和39年(1964)に廃止され、名鉄バスに転換、その後、現在は岐阜バスが運行しています。

JR岐阜駅のバスターミナル7番乗り場、岐阜バス「西鏡島」行き、「鏡島弘法前」下車、徒歩3分で鏡島弘法に行くことが出来ます。

JR岐阜駅は地上3階の駅ビル構造となっており乗降客数が岐阜県内1番の駅です。
JR岐阜駅西に隣接する施設には「アクティブG」があり、JR岐阜駅北口周辺には、岐阜シティ・タワー43などの超高層ビルが立ち並びます。

中山道 加納宿

東京の日本橋から京都の三条大橋まで全長532キロ、岐阜県を通る中山道は128キロ。
中山道全部で69ある宿場の中で岐阜県内には17の宿場あり、岐阜市内の宿は長良川右岸(西岸)の河渡宿(ごうどじゅく)と美濃の中で最大の加納宿(かのうじゅく)の2つの宿場です。

加納宿の近くに加納城跡があります。
文安2年(1445)に、土岐氏の重臣である斎藤利永(さいとうとしなが)が築いた沓井城(くついじょう)として始まり、慶長7年(1602)、加納城は徳川家康による天下普請によって築かれた平城で、徳川家康の義理の息子である奥平信昌(おくだいら のぶまさ)の居城として知られています。
江戸時代には加納藩主(領主)が居城となり、加納城跡(かのうじょうあと)は国の史跡に指定されています。石垣が残っており、現在も当時の面影を感じることができます。

まとめ

鏡島弘法から中山道コースでした。
鏡島弘法に訪れる際には、上記の様々なスポットもお楽しみください。

鏡島弘法の風景

名称乙津寺 (通称:鏡島弘法)
所在地〒501-0124 岐阜県岐阜市鏡島中2丁目8番1号
西岐阜駅から車で約5分 岐阜バス「鏡島弘法前」バス停から徒歩5分
  駐車場  無料駐車場80台あり
 寺務所受付時間 9:00~12:00 (毎月21日、1月1〜3日は9:00〜17:00)
電話番号058-252-2062
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